自宅保管の品です。中身は大変美品ですが、古いもので表紙など経年変化はございます。ご理解頂ける方にご検討をお願い申し上げます。
芝公園六角堂跡 西村賢太
狂える藤澤清造の残影――独りの死者と独りの生者。鬼気迫る四篇の〝夜〟と〝昼〟
ここ数年、惑いに流されている北町貫多。
あるミュージシャンに招かれたライブに昂揚し、
上気したまま会場を出た彼に、東京タワーの灯が凶暴な輝きを放つ。その場所は、師・藤澤清造の終焉地でもあった――。
「闇に目をこらすと、そこには狂える藤澤清造の、最後の彷徨の残像が揺曳しているような錯覚があった。――その朧な残像を追って、貫多は二十九歳から今日までの生を経(た)ててきたはずであったのだ。」(本文より)
何の為に私小説を書くのか。予定調和とは無縁の、静かなる鬼気を孕んだ最新作品集
レビューより
私も最初の印象は「駄作」でしたが、繰り返し読むほどに味が出てくる感じです。 「しみじみ、その意志を蘇えらせてくれた、間接的な契機であるJ・Iさんとの流れが有難かった」の一文は、やっぱり普通に書いてしまうだろうと思います。いや、書くべきものだという直観に取りつかれたからこそ、その時にはそのフレーズが確かに降ってきたのだと思います。そして、その一文に後からここまで苦しめられるというのが、私小説家の真骨頂なのだろうと思います。
ゲスの極みを地で行く作風の西村賢太に何故こんなに惹かれるかを再確認できた作品集だと個人的には思いました。 かつての人生最強の援軍田中英光によって私小説に開眼し、師藤澤清造との邂逅。その師に認められたいが為に私小説書きとなった自分が富や名声に惑う事無くありたい…のに変わってしまいそうな自分と葛藤し、乗り越えられる自信を確信に変えたいからこそあえてこういう作品集を残したかったのではないかと推察します。