『日本書紀通證』(ニホンショキ ツウショウ)全35巻(23冊)
谷川士清撰述
五條天神宮蔵版 出雲寺文治郎 : 吉田四郎右衛門 : 山本平左衛門 : 村上勘兵衛 : 越後屋太兵衛 : 風月荘左衛門 宝暦12年 (1762)
巻1 巻2 巻3 巻4 巻5 巻6 巻7 巻8 巻9-10 巻11-12 巻13-14
巻15-16 巻17-18 巻19 巻20-21 巻22-23 巻24-25 巻26-27 巻28-29巻30 巻31-32 巻33-34 巻35
和本 26㎝ x 18.5cm 経年並ヨレ 題箋スレ等あります。蔵書印が二つあります。全体的に状態は良好だと思われます。
谷川士清 (たにがわことすが)(1709~1776) は江戸時代中期、伊勢国の津の国学者で、松坂出身の本居宣長より 20歳年上にあたる。「恒徳堂」とよばれた医院の長男として生まれ、医者のかたわら「洞津谷川塾」や「森蔭社」とよばれた塾や道場を開いて 人々に学問を教えた。
『日本書紀通証』は 『日本書紀』についての最初の本格的な注釈書であり、『日本書紀』を正確に解釈するという強固な意図に基づいている。このことは士清自身が「例言」の中で「儒典梵書ヲ引用スルハ、要ハ字義ヲ証ス」と述べているように、一字一字について多くの出典を引用した訓詁からも窺える。このような出典を明記した訓詁注釈の徹底は、中世期において見られなかった客観的かつ実証的な研究の展開に繋がり、神秘的解釈を打破して体系的な形を整えるに至った。士清が国語学史上に残した功績は多大である。『日本書紀通証』第1巻収録の動詞活用表「和語通音」を見た本居宣長はその学識にうたれ、以後手紙を交わすこととなった。五十音順に配列された本格的な国語辞典『和訓栞』の編纂は、現代の国語辞典の祖型を確立した。
参考:谷川士清『日本書紀通証』臨川書店(1978)